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3 Ultraphot
顕微鏡の傍らに座る
ヴィン・ラブダ,1983年
4.走査電子顕微鏡の傍らの
ラブダ祐子,1991年
その間何人もの女性がその部屋からコーヒータイムを終えて出てきた
後、やっと現れた受付譲は私がまだそこにいるのに驚き、私のことをすっ
かり忘れていたのを否応なしに思い出させられたようであった。
彼女はまた姿を消し、再び現れたときには手に大きく「学習用顕微鏡」と
書かれたパンフレットを持っていた。受付嬢は私と目を合わせずにパン
フレットをカウンター越しにこちらに押してよこし、「どうぞ」とたった一言
言った。この場合の「どうぞ」のイントネーションは北ドイツのこのあたりで
は「消えうせろ」と言われたのとほとんど同じニュアンスである。私が、学
習用顕微鏡ではなく、U ltraphot顕微鏡を注文しようと思っていることを
伝えると、この受付嬢は「ウルートラーフォトードライ」とわざと長く引っ
張って繰り返し、一呼吸おいてから、「お客様にはとても払えません」と言
い放った。この顕微鏡の値段は当時10万マルク以上したのであり、擦り
切れた、かなり洗いざらしのブルーのウィンドブレーカーを着て、予約も
入れずにカール・ツァイス財団を訪れU ltraphot顕微鏡を注文するような
男が、危険な詐欺師でもなんでもないということは、明らかに受付嬢の想
像力の限界をはるかに上回っていたのである。
とっさに一矢を報いようとも考えたが、すぐに受付嬢のこの失礼な態度を
価格交渉で有利に使えるかも知れないと思いつき、その晩早速テレック
スで(当時はファックスも、eメールもなかった)今日の出来事を書いて、
ゲッティンゲンのツァイス本社に送った。
1週間後、待ちに待った電話が入った。会社から二名を差し向け、今回
の心苦しい一件を大事にせずに処理したいという意向だった。二人はす
ぐにやって来て、どんな条件なら合意できるかと質問してきた。私は早
速、「展示会でデモンストレーションに使われた顕微鏡を半額で提供し
てくれるなら」と申し入れてみた。二人は、販売員の常で、即答はできな
いが、上席者と掛け合ってみると約束し帰っていった。その後3週間近く
何の音沙汰もなく、私がこの件をほとんど忘れてしまった頃、二人はまた
突然姿を現し、好意的な態度でこう伝えた。会社として提供できるのは1
台だけで、それはもともとイランの失脚した支配者からの注文であり、代
金の一部は既に支払われているが、革命後のイラン新政府はツァイス社
との契約をすべてキャンセルし、その顕微鏡もキャンセルされた、ツァイ
ス社としては残金を支払ってもらえれば顕微鏡を提供できる、というの
だ。また必要な付属品も無償で提供するとの申し出であった。私は同意
し、あのブロンドの受付嬢の件は水に流しましょうと約束した。
1ヶ月後私は晴れて「まともな」顕微鏡の所有者となり、あの受付嬢の失
態には、もちろんいまだに感謝しているという次第だ。