Mikrofotografie japanisch - page 5

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んとか調達しようという方向に、ポイントは切り替わっていた。
なぜカーゲは私たちにとって忘れがたい人となったのか。        
私たちがまだ走査電子顕微鏡についてよく知らない時期に、私たちを快
く受け入れ、自分の知識を惜しみなく分け与えたてくれ、また自然を撮
影するということは、自然をその発生条件から生じた姿のままにとどめる
ということだと、身をもって私たちに教えてくれたからである。ハンス・マグ
ヌス・エンツェンスベルガーはそのエッセイ集「
科学のエリキシル-詩と散
文の横からの眺め」
の中で次のように書いている。「科学の持つ詩情
は明白ではない。それはより深いところから発するものである。..診断や
時代の測定に使われるアイソトープのように目に見えず、目立たない
が、微量元素のように欠くことのできない科学の詩情は、誰も予想しない
ようなところでも働いている」。マンフレート・カーゲはこの予想もしない詩
情の素晴らしい告知者となった。カーゲはまさしく「Professor(教授)」で
あり、その75歳の誕生日にあたり、私たちは彼のご健康とご幸福を祈っ
てやまない。
電子顕微鏡を手に入れるための戦い
当時私には高価な新品の電子顕微鏡を調達するだけの資金がなかっ
た。それでも私はClear&Clean社が将来行う設備投資の対象を電子顕
微鏡とし、すぐに数えきれないくらいの人々に電話をして、電子顕微鏡を
譲ってもらえれば、その代わりに5年間無償で寄贈者のために写真を撮
ると提案した。
最初は寄贈の申し出もなく、多くの人は首を横に振るばかりだった。しか
し、ある日若い頃から仕事で関係のあったミュンヘンのジーメンス社購買
部のハンス・ツェルレから連絡が入った。話を聞くと、ジーメンス株式会
社は光ディスク開発部門を全面的に廃止することになり、すべての機器
を処分しなければならず、その中にわずか2年しか使っていない電子顕
微鏡も含まれているということだった。そこで私はミュンヘンのジーメンス
株式会社に正式な手紙を送り、電子顕微鏡に関心を持っているが、事
前に実物を見たいと書いた。
廃止される部門から他会社へ移籍が決まっている技術部長が売買につ
いてぜひ私と協議したいと返事が来て、私たちはミュンヘンで会うことに
なった。部長は大変愛想よく、私がこの顕微鏡を手に入れられるよう本
当にベストを尽くそう、また購入金額も低く抑えて大丈夫だ、15,000マル
クくらいで十分だ、それで全て順調にゆくと言った。
そこで私は合意金額の15、000マルクで入札した。この顕微鏡が、部門
廃止にともなって他企業へ転職を余儀なくされる技術部長に転職祝い
のような形で売られる暗黙の了解ができていたこと、しかし正式の入札で
あるので、結局は最も高値で入札する者が落札することになっていると
いう背景について私がいくらか知っていることを彼は知らなかったよう
だ。部長は、私には顕微鏡が絶対手に入らないような低額での入札を勧
め、自身は社内で私の入札額を上回る価格を提示した。こうして自分が
落札することは確実と思い,退職までの3カ月、それ以上この件に注意を
払わなかった。これで私にはこの顕微鏡を入手する可能性はなくなって
しまったはずだが、こうした状況で私はよく霊感に助けられてきたが、今
回もそうだった。
ドイツの法律によれば、ある商品を提供する者が最高入札金額を入手し
て14日以上経過し、かつこの期間内にこの取引に対し異議申し立てをし
ない場合初めて、入札による取引は確定力を得るというのだ。現在改組
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