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年のクリスマスカード、針葉
樹の枝先(©ラブダ祐子)
カードにしたいと提案した。テクノロジー企業がクリスマスツリーというシン
ボルを象徴的に思い起こさせるという訳である。これが好評だったため、
祐子は数年後にはこれを毎年の慣例とし、いつも新しい植物モチーフを
見つけてきては撮影してカードにし、挨拶文を添えてクリスマスカードと
して送るようになった。数年後、南ドイツのテキサス・インストゥルメンツ社
を一緒に訪問したとき、チーフ格の社員の一人が、この数年間Clear&
Clean社から受け取った素晴らしい写真を非常に評価し、自分で専用の
アルバムを作ったと話してくれた。私は丁重にお礼を言い、来年はもっと
よいものにすると約束した。するとその人は額にしわを寄せて私を見て
首を横に振り、「私の言っているのはあなたの作品ではなく、奥様の撮っ
た写真です」と言った。このように予期せぬ人気を博したことがきっかけと
なって、祐子はその後ますます電子顕微鏡による芸術的な写真を撮る
事にのめり込んでいった。
そのためには、より高度な顕微鏡標本作製方法に関する知識が必要
だったが、私達はそれまでこの知識を完全にはものにしていなかった。こ
の時期、友人が、リューベック大学解剖学科の御自身も優れた写真家、
顕微鏡写真家であるアンドレアス・ゲバート教授を紹介してくれた。ラブ
ダ祐子が現在撮影する電子顕微鏡写真にとって測りがたい価値をも
つ、植物構造の標本作製技術を大変的確に指導してくれたゲバートに
は今でも大変感謝している。
クラウディア・フェーレンケムパーとクリスティアーネ・シュタール
2007
年のある日、私は芸術関係の雑誌に講演会の予告を見つけた。
D r.クリスティアーネ・シュタールという女性が、ボン市立美術館でクラウ
ディア・フェーレンケムパーの走査電子顕微鏡写真について講演すると
いう。クラウディア・フェーレンケムパーという名前はそれまで知らなかっ
た。「エルンスト・ヘッケルからクラウディア・フェーレンケムパーまで」とい
う講演タイトルはやや長いが、さらに「自然と芸術の間に位置する顕微鏡
写真の伝統」という副題までついていた。
ボンはリューベックから決して近くはない。しかし講演予告とともにクラウ
ディア・フェーレンケムパーの作品が印刷されており、とても興味深い写
真だので、やはりボンに行ってみようということになった。
こうしてシュタール女史の講演会に出かけ、クラウディア・フェーレンケム
パーの作品について多くを学んだ。一目見た時から彼女の作品は私達
に非常に強い印象を与えた。フェーレンケムパーは、甲皮や甲羅をま
とった甲虫や幼生の小世界を、私達の心に訴える何ものか、その生物を
とりまく世界と、その生命を私たちに深く印象づける彼女独特な撮り方で
示したからである。このことは彼女の原点とも言えるおたまじゃくしの幼生
の写真によりよくあてはまる。
さらにクラウディア・フェーレンケムパーは、ラブダ祐子と全く同様に、走
査型電子顕微鏡写真に、最近流行りの後からの彩色を施さない。このこ
とから、私達はカストロプ=ラウクス出身のこの小柄な婦人により親近感を
持った。
当時ボン市立美術館ではフェーレンケムパー展も開催されていたが、そ
の展示の仕方は残念ながらクラウディア・フェーレンケムパーの実に印
象深い写真の多くが十分真価を発揮できるとはいえないものだった。逆
にベルリンでは学芸員達が好意的だったと見えて、フェーレンケムパー
の写真はその価値に見合った「特等席」に展示された。