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マンフレート・カーゲ‐この道の第一人者
顕微鏡が手に入り、私はまたマンフレート・カーゲに連絡を取った。やり
取りの中で私はカーゲから興味深いプレパラートや、様々なアドバイスも
いただいた。
偏光顕微鏡でこの華麗な結晶の映像を見ながら何夜も過ごしたが、そ
れでも撮影したのはその中のわずかな結晶だった。自分の目にしたどの
映像も、直前に見たものを上まわるものであったので、次に見る映像が
それ以前に見たもの全てを、いや想像の限界を上回ることが期待された
から、目を奪われているうちにシャッターを押し忘れることが多かったの
だ。しばらくするとこの結晶写真は私にとって視覚的麻薬とでも言うべき
存在になってしまった。麻薬ともなれば、いつかは断つ必要がある。それ
でも何枚か美しい写真ができたので、その中から少し選んでこの本文に
添えておく。
ある日長年の友人で、後にドイツ生物学協会会長となったヴィルフリー
ト・グンケル教授が私に、ある顕微鏡写真家が標本を手に入れるために
ヘルゴラントにある海洋学研究所にやってきた、大騒ぎの末に、研究所
のAxiom at顕微鏡を完全に分解してしまったが、最終的には放散虫の
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、6.75歳の誕生日にベルリ
ンのアルフレート・エアハル
ト財団で開かれた個展の開
会式席上のマンフレート・
カーゲ教授。左はヴィン・ラ
ブダと、右はラブダ祐子とと
もに。
比類のない写真ができあがった、その写真たるやエルンスト・ヘッケルの
写真と同じぐらい素晴らしい、と話した。それを聞いただけで、その写真
家はマンフレート・カ-ゲに違いないと思った。
そこで、私も放散虫の美しい写真を撮りたいと、ヘルゴラントのグンケル
家を訪問したが、そこでもらった放散虫は、少なくとも私のU ltraphotで
写した限りでは全然凄いものではなかったし、カーゲが撮影に使用した
走査電子顕微鏡は当時高価で、とても私の手には入らなかった。
マンフレート・カーゲという名を聞いて、ぜひともマエストロを一度お住ま
いのヴァイセンシュタインの城に訪問したいと言いだしたのは祐子だっ
た。二人の間ではよくカーゲの名前が話題に上っていたのだ。彼は、城
を所有する顕微鏡写真家として、日本でも名が知られていたのである。
1988
年
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月に私たちはヴァイセンシュタイン「巡礼」を行い、マンフレート・
カーゲから心のこもった歓迎を受けた。カーゲは自分の日々の仕事か
ら、興味深い写真や身の毛もよだつような写真を見せてくれ、また走査
電子顕微鏡を使うと、ごく小さな構造も深い焦点で撮影できることも見せ
てくれた。カーゲは上機嫌で、自著『珪素の世界』と、自身が撮影したま
るで万華鏡のようなオリジナル・スライド2枚をプレゼントとしてくれた。こ
れはいまだに大事にして、折りにふれては眺めている。その晩遅くなっ
てカーゲのもとを辞したときには、私の中では、自分の電子顕微鏡をな